バービーロールモデルインタビューサイト

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プロクライマー

「夢を持つこと」が夢でいい
宇宙に憧れたクライマーは
“前人未到”に挑み続ける

尾川 とも子

Tomoko Ogawa
  • 「人がやってないことをしたい」
    最初の夢は宇宙飛行士

     

    「日本人女性初の宇宙飛行士になりたい!」これが私の最初の夢でした。小学生のときに毛利衛さんが宇宙飛行士に選ばれたのを知って、「人がやってないことをやりたい。誰も行ってないところに最初に行ってみたい」気持ちが芽生えたんです。中学生のときに、「日本一高いところに登れば宇宙に近づける」と思って、富士山に登りました。何十時間かけて登った頂上で、たった1時間だけおにぎりを食べて下山する。そのときに、ふと毛利さんの言葉が頭によぎりました。「10年以上訓練したけど、宇宙にいたのはたった2週間だった」ーー宇宙飛行士になる過程って、登山に似てる! そう気づいてから、登ることが好きになりました。

     

  • アジアでは金。でも世界では……
    実力を思い知り描いた新たな夢

     

    宇宙飛行士を目指して、大学では理工学部に進みました。ところがだんだんと勉強についていくのが難しくなって…。卒業後に選んだのは、登山サークルで知ったクライミングの道でした。当時まだ知られていなかったこの競技を、「自分が切り開くんだ」と決意していましたが、選手時代には挫折も経験しました。アジアでは金メダルを取れても、W杯ではいつも予選落ち。30代になり、3歳で競技を始めた15〜6歳の海外選手が表彰台に立つのを見て、「この差を埋めるのは難しい」と愕然としました。「それならば、天然の岩を登って生きていこう」と新たな目標を据えたのが、ロッククライミングの世界だったんです。

     

  • “女性初”の快挙
    世界最高難度V14の岩をクリア!

     

    世界最高難度の岩を登りたいーー。V14レベルの岩を登りきった女性クライマーは当時誰もいないなか、日本中の岩を徹底的に調べ、那須塩原の岩「カタルシス」に何度も挑戦しました。どうしても越えられない1手だけを700回以上やり続けて、3年目にようやく達成できたんです。夢を叶えるために必要なのは、こうした一手一手の積み重ねと、“登るべき岩”を見つける情報力です。バービーで遊びながら「こんな職業の人がいるんだ」「こんな足の太さの人もいるんだ」と知ることは、子どもたちが将来を考えるきっかけに繋がります。私の子どももバービーで遊んでいるのですが、夢へと向かう道は、自分自身を知ることから始まるんだと思います。

     

  • 苦しいときは、一旦「おやすみ」
    再び心が燃えるのを待ってみる

     

    クライミングは将棋みたいに、次の手、次の手を考えて登っていくので、発想力も必要です。ずっと「ここはこうやって登るんだ」と思い込んでいたのに、ある人が違うやり方で登るのを見て「えっ、そんな簡単に登れるの!?」と拍子抜けしたことが何度もあるんですよ(笑)。諦めないのは大事なことですが、周囲を見渡して自分のやり方に固執しないことも、同じくらい大切だと思います。それでも目標に近づけなくて苦しいときは、一旦「おやすみ」するのがおすすめです。そうすれば、夢を諦めたことにはなりませんよね。心がまたフツフツと燃えてくるのを待てばいい。一見遠回りに見えて、夢を叶える近道になるかもしれません。

     

  • 夢は諦めざるを得ないこともある
    でも、夢を持つことはやめないで

     

    夢を諦めざるを得ないことは、どうしてもあると思います。それでも唯一諦めてはいけないと思うのは、夢を持ち続けることです。学校で講演をしたときに、子どもたちに将来の夢を発表してもらったのですが、出てこなかった子には「『夢を探すことが夢です』って言っていいよ」と話したんです。すると後日「美容師になりです」と手紙をくれて。その夢は今後変わっていくかもしれませんが、1つの“夢のタネ”がその子に植えられたと思うと、嬉しかったですね。そんな私の今の夢は、子どもたちにクライミングを広めていくことです。宇宙飛行士を目指したときに芽生えた「道を切り開いていきたい」気持ちは、今もずっと、私の原動力になっています。

     

PROFILE

  1. プロクライマー

    尾川 とも子

  2. 1978年4月14日愛知県生まれ。
    宇宙飛行士を目指して進学した早稲田大学理工学部物理学科を卒業。在学時の2000年、国体山岳競技に誘われたことがきっかけで、クライマーの道へ。2003年「Asian X-games」で優勝し、競技歴わずか3年でアジアのトップクライマーとなった。2006年も同大会で優勝。その後はチャレンジの舞台を自然界の岩場へ移し、2008年4月に日本人女性初となる難度V12を達成。2009年秋より、女性では前人未到の難度V14の岩に挑み始める。数ミリ単位で指や足の位置を研究し続け、2012年10月ついに完登。

    世界の女性で初となる記録が称賛され、2012年には世界で最も活躍したクライマーに送られる「Golden Piton賞」、2014年には「Golden Climbing Shoes賞」を受賞した。2014年に第1子、2016年に第2子を出産し、現在はアスリートと母親の立場を両立させつつ、「学校にボルダリングウォールを」という夢を追いながら活動中。

     
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