東京都知事
挑戦と感謝の気持ちを胸に、前例のない道を切り開き続ける
小池 百合子
Yuriko Koikeオンリーワンであることを良しとする母の影響を受けた少女時代
幼少期は「いつでも自分の足で歩けるようにしておきなさい、他人と同じじゃつまらない」と、オンリーワンであることを良しとする、芯の強い母から大きな影響を受けて育ちました。幼少期の遊びで思い出すのは、偶然にもバービーちゃんの着せ替えですね。小学校低学年のころ「かっこいい!」と思って、お小遣いをためたりおねだりしたりして、お洋服も揃えていました。お気に入りは黒いドレスを着たシンガーのバービー。大好きでしたので、今でもとても覚えていますよ。
挑戦する気持ちを忘れず、自分が決めた道へ突き進んだ学生時代
大学時代、受験勉強の合間にある本を読み、留学したいと思うようになりました。大学生になってからはその想いがどんどん大きく具体的になり、ついに一大決心をして、一度入学した関西学院大学を中退し、カイロ大学に留学しました。
留学の決意を伝えたとき、母は「いい選択ね、卒業するまでは帰ってこないこと」と自分の意思を尊重してくれました。世界に飛び出ることを後押ししてくれ、自立したあとも応援してくれる両親には本当に感謝しています。
新しい女性のキャリアを確立。そして女性が活躍できる社会をつくるために
帰国後は日本初の女性経済キャスターを務めたり、あえて崖から飛び降りる覚悟で初の女性都知事として日々仕事に没頭したりする中で、米フォーブス誌で「世界で最も影響力のある女性100」にも選出いただきました。これまで前例がない道を切り開くことができたのも、自分の力だけでなく、その時々で支えてくださる方のおかげです。いただいたチャンスを一つ一つクリアして、キャリアを重ねてきました。「求めよ、さらば与えられん」という言葉がありますが、自らずっとノックしつづけることが大事だと思います。
目の前にいる人を大切にすることで、めぐりめぐってチャンスがやってくる
現在、政治塾を開いて自分の考えを伝える機会がありますが、「250人の法則」の話をよくしています。「1人の人は、250人の人とつながっている」という考えで、世界的なセールスマンが大切にしていた理論。私自身も昔、キャスターになるための学校に通ったこともなければ、試験を受けたこともありませんでしたが、留学先でいろんな方とお会いする中でお声がけいただき、日本初の女性経済キャスターになることができました。目の前の人を大切にすることで、評判がめぐりめぐってチャンスがやってくると思います。
自分で限界を決めるのはもったいない。可能性は、みんなに広がっている
東京オリンピック・パラリンピックの理念であった「多様性・調和」は、その当時だけではなく、ずっと大切にしていくべきものだと思います。世界の女性活躍に関するランキングで、日本は未だに低迷していて、伸びていません。一方、バービーちゃんはうんとその先をいって、いろんな職業についたり活躍の場が広がったりしていますね。子どもたちには、多様なバービーちゃんを通じていろんなメッセージを受け取って、それを自分に当てはめてみて、「自分がどう感じるか」「どうなりたいか」という発想に繋げられるといいと思います。無意識の思い込みで、自分で限界を決めるのはもったいないですよ。男女関係なく、可能性はみんなに広がっています。
東京都知事
小池 百合子
1952年兵庫県芦屋市生まれ。アラビア語通訳者、キャスターを経て、1992年に政界へ転身。テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、環境大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)、防衛大臣、自民党総務会長、予算委員会理事を歴任。現在は東京都知事を務める。2020年には、米フォーブス誌の「世界で最も影響力のある女性100人」に選出された。