バービーロールモデルインタビューサイト
女優・ユニセフ親善大使
「私、このままでいいのね」と 自分に自信を持たせてくれた 大人たちの言葉
黒柳 徹子
Tetsuko Kuroyanagi「なにかになりたい」と
漠然と夢見ていた子どもの頃
私が子どもの頃は、今のように情報があふれていなかったので、自分が将来「何になりたい」か夢を持とうとしても、想像できないし、選択肢も少なかった。それでも、「何になりたい」と具体的な夢を持つことはできなかったけれど、「何かになりたい」とはいつも思ってました。そうやって、手探りで自分の夢を追いかけるなか、運命的なものもあり、テレビの世界に入りました。そして、今でも夢を抱いています。それは、100歳になったら政治記者になること。100歳の政治記者の私が迫ったら、総理でも答えてくれそうでしょう?
個性的な私を認めて
応援してくれたまわりの大人たち
テレビの世界に飛び込んだばかりの頃は、「黒柳は個性的過ぎる」と、仕事を降ろされることも、しょっちゅうありました。挨拶ひとつとっても、元気すぎてまわりの人より目立っていたみたいでした。でも、構成作家や演出家など周囲の大人の方が、「大丈夫。君の個性は大事だから、そのままで行ったほうがいい」って声をかけてくださったので、「私、このままで行ってもいいのね」と自信を持つことができた。そうでなかったら、テレビの世界を辞めていたかもしれません。
自分の夢について誰からも
聞かれたことのなかった女の子
ユニセフの親善大使として訪れたある国で、出会った女の子に夢をたずねたら「洋服のデザイナーになりたいけれど、家にそんな余裕はない」と。「きっと叶うから」と励ましたんです。今まで誰もその子に夢のことなど聞いたことがなく、「徹子さんが初めて私の夢が何か尋ねてくれた」と感動していました。数年後再会した時、その子はなんと私に洋服をプレゼントしてくれました。貧しい中で一生懸命働いて、ミシンを買って、洋服の作り方を勉強していたんです。大切なのは、その子が夢を言葉にして語り、大人が認めてあげることだと思うのです。
手にしたバービーの先に
なりたい自分を描く
バービーには、たくさんの種類があるでしょう。子どもにとって、その中から自分のお気に入りのバービーを選ぶことは、とても大切だと思います。「これは、私の友達に似てる」「この体つきは誰々さんにそっくり」「この洋服が好き」とか、いろいろ考えながら選択する。それが、自分の好きなことや憧れを知るための大切なきっかけになる。バービーで遊びながら、「私もこういう風になりたいな」と考える。子どもはバービーのその先に、自分の夢や未来を見ることができるのかもしれません。
どんな時でも
夢を持つことを忘れずに
世界中の子どもたちに伝えたいのは、夢を叶えるために、まず「私は何になりたい」か考えてみましょうということ。世界にはさまざまな国や環境があり、「自分の夢なんて考えたこともない」という子どもも少なくないでしょう。でも、どんな時でも夢を持ちましょう。そして、その子どもの夢や個性を、まわりの大人が認めて応援してあげることが大切です。子どもが「なりたい」と願う夢を、大人は「なれる」と信じていることを、言葉にして伝えることが、夢を叶えるために必要なのだと思います。
女優・ユニセフ親善大使
黒柳 徹子
女優・ユニセフ親善大使
東京・乃木坂に生まれる。父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサート・マスター。
トモエ学園から香蘭女学校を経て東京音楽大学声楽科を 卒業しNHK放送劇団に入団。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。その後、文学座研究所、ニューヨークのMARY TARCAI(メリー・ターサイ)演劇学校などで学ぶ。
アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥ ナイト・ショー』など、多くのアメリカのテレビ番組に出演。また、タイム、ニューズウイーク、ニューヨークタイムス、ヘラルドトリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は44年目をむかえる。著作『窓ぎわのトットちゃん』は800万部というベストセラーの日本記録を達成。アメリカ、イギリスなどの英語圏、ドイツ、ロシア、中国語圏、アラビア語圏など 世界35ヶ国で翻訳される。日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。ユニセフ(国連児童基金)親善大使 としてアフリカ、アジアなどを訪問。メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。日本ペンクラブ会員。ちひろ美術館(東京・安曇野)館長。東京フィルハーモニー交響楽団副理事長。日本パンダ保護協会名誉会長など。文化功労者。